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故・船村徹の逸話検証

演歌界の大物作曲家、船村徹が2月16日に急死。自宅で倒れていたという。死因は心不全であるが、昨年 心臓手術をして復帰したばかり。生涯現役であった。享年84。
♪ 王将 柿の木坂の家 矢切の渡し みだれ髪 風雪ながれ旅 兄弟船 ダイナマイトが百五十屯(発売は1958年、日活映画『二連銃の鉄』に使われたのは翌年)東京だよおっ母さん…。
キャリアの中で異色なのは、東映の長編アニメ第2作『少年猿飛佐助』(1959.12)の音楽を担当した事か。
ウィキにも引用されているが、2005年に当時 会長を務めていたJASRACのホームページで、大瀧詠一と対談した時に披露された逸話は印象的。

船村:ビートルズといえば、私が東映アニメ『少年猿飛佐助』(1959年作品)の音楽でグランプリを獲った際に行ったロンドンで、偶然審査員として参加したオーディションにビートルズが出ていまして。
何組かいた中の彼らだけがグループだったんですよ。他はみんなソロでして。「どの組がよいか?」と聞かれたので、「あの汚い4人組が一番面白いのでは」と答えたんですよね。

大瀧:(周りにいる取材スタッフに対して)すごいでしょう!船村先生は、ビートルズが誕生したオーディションに立ち合っているんですよ。
アニメ音楽からビートルズの発掘まで、本当に幅広いですよね。

藪下泰司監督『少年猿飛佐助』のグランプリというのは、東映ビデオHPによると、1960年度 第12回ベニス(ヴェネツィア)国際映画祭 児童映画部門グランプリ(サンマルコ獅子賞)という。
本作のウィキページは無く、IMDbで検索しても この件が載ってないので「アレ?」と思うが、もちろん事実。
東映の長編アニメ第1作『白蛇伝』(1958.10)に続いてのこと。
Leone di San Marco per il miglior film a soggetto adatto ai ragazzi dai 12 ai 18 anni という賞である。
但し、第12回は間違い。
第21回(1960.8〜9に開催、『ラインの仮橋』『アパートの鍵貸します』が話題になった年)であった。

船村は この時に関係者としてイタリアへ行き、ついでにヨーロッパを旅行したと思われる。

古いキネ旬を調べれば、授賞式の写真が載っているかも。

無名時代のザ・ビートルズも参加したという、ロンドンでのオーディションだが。
前身のザ・クオリーメンから このバンド名になったのは、1960年の事らしい。しかも船村が映画祭のため渡欧した直前、オーディションの直前らしいのだ。

ウィキには
ジョン・レノンのアートカレッジの友人スチュアート・サトクリフが参加、バンド名が「シルヴァー・ビートルズ」になる。しかし、ドラマーがなかなか決まらない。
1960年8月、カスバ・コーヒー・クラブの経営者の息子ピート・ベストをドラマーに迎え、ジョン ポール・マッカートニー ジョージ・ハリスン スチュアート・サトクリフ ピート・ベストの5人となり、バンド名も「ザ・ビートルズ」と改名した。
…と書かれている。
オーディションはこの直後と思われるので、船村が審査員としてコメントした時のビートルズは5人だったと思うが?
コアなポップスマニアである大瀧は気付いていたと思うけど、大御所に遠慮して突っ込まなかったのだろうね。

J・KOYAMA * ターンノーン通信 2015〜 * comments(0) * pookmark

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