<< August 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 『勲章』 | TOP | 寝ちゃって『デッドプール2』 >>

時には昔の話を

先日 呑んでいて、思い出すこともなかった小中学生時代のクラスメイトのことが、脈絡なく脳裏に浮かんできた。不思議なり。
但し女子ではなく、男子ばかり。
私は生来ヲタク系だから、スポーツ系の連中は少数だが…。

Hはガキ大将タイプだったが、怪獣好きで話すことが多かった。だが見せてくれると約束したのに私が持っていない図鑑をついに見せず。私の呪いがかかったか、彼は扁桃腺を腫らし入院、ついに切除。それまでのドスの効いた声を失い、ガキ大将の地位も失った。

T林やK藤は、就職後も付き合った長い友人だった。20年ほど前、あるキッカケで決別。K藤は私がクラスで書きなぐったマンガを保存してくれていた。この事だけは、今も感謝している。元気でな。

ミリタリー好き田宮好きモデラーだったT本、引っ越したが その後どうなったか。家でジオラマ作ってるヤツを見たのは、彼が最初。

K井は裕福な家の子で、怪獣好き。だが、のちにPTA会長も務めた父親には、ちょっと怖い裏の顔もあったようだ。遊びに行きベッドルームにこっそり入ったら、日本刀コレクションが並びベッドには虎の皮が敷いてあってビビる。子供心にも、堅気じゃない雰囲気は分かった。
彼は親から野村トーイのカセット8ムービーを発売早々に買ってもらい、私は広い勉強部屋でゴジラものフィルムを見せてもらった。

佐賀から引っ越して来たU野は、K井の関係で話すようになったが。親が屠場で働いてる事が どういう経緯か晒され、昔の事だから密かなサベツの対象になっていた。あの子とは遊んじゃいけません!というアレだ。
怪獣好き同士、私は親しくなったが、おかげでコッチがイジメられかけた時期(筆箱や上履き隠し)がある。
その先鋒となっていたエリート家庭のA内は、彼が自分のシャーペンを盗んだと濡れ衣を着せた。U野の筆箱に入っていたというのだ。しかし嘘はバレ、自分がイジメの対象になってしまった。
A内はその後 難病にかかり、一家も衰亡、のちに転居していったらしい。
U野は小4の終わりに故郷の佐賀に帰ったが、今はどうしているだろう?食肉ブローカーのボスになり、ブイブイ言わせているかも。

学区には大きな団地もあり、鍵っ子というのがホントにいることを知った。I田 N尾… たいてい彼らの部屋には共働きの親が買い与えたのだろう、マンガ単行本が豊富にあり、読みに行かせてもらった(ウチは寮母をしていた祖母経由で週刊少年誌バックナンバーが揃っており、お返しに読みに来てもらったことも)。

M本はスポーツ系(少年野球)だったが、一度だけ家に行った事がある。建築業(資材販売だったか)の親がエロ雑誌を隠してる、見せてやると言ったのでついて行ったのだが、ホンマや!屋根裏に本の山が…。

すぐ転校していったので名は忘れた(M原だったかも)が、親が居酒屋をやっていたヤツもいた。酒ふた集め(レアな一升瓶のふたコレクション。阿部寛も幼い頃、ハマっていたとか)が流行った時、彼はヒーローだった。

児童劇団に入っていたS、NHKの『中学生日記』に出たのが最高の出世?その後の消息はネットでも不明。

O橋も家が裕福で、やはりプラモデルが趣味。グレてはいなかったが、コッソリ部屋でタバコを吸っていた。でも肥満体。大学在学中のコンパ帰り、繁華街で車にはねられ早世。新聞記事で知り驚いた。

裕福といえば、中学の終わりに荒れてると噂の学校から転校してきて、トイレが2ヶ所(しかも、小便器と洋式便器がセットの大きなトイレ)もある豪邸に住んでいたN塚は面白い奴だった。私の描くマンガを評価してくれたのも嬉しかった。今はどうしているやら。

K脇は小人症であったが、気が良くイジメられたりはしてなかった。でも、あだ名は やっぱりミニラ。中学では他のクラスだったが、暫く登校していないという噂が聞こえた。やがて急死。全校で葬儀に行ったが、同級生の死は彼が初めてだ。

K脇の近所で、医者の息子だったヤツの名が思い出せぬ。物置にソフビ怪獣が大量にあると聞き、見せてもらいに行った事がある。中学から私学へ行き、付き合いは無くなった。その後は消息不明。

H野は中学の時、夏休み後 急激に不良化。付き合ってる女子とキスするところを見せつけた同級生は、彼が最初だった。但し、その時は慣れてなかったのだろう…後でツバを吐きっぱなしだったような(舌を入れてみたのね)。

T島は成績が悪かったが、マンガ好きで、なんだか老成していた。「希望の友」という雑誌に みなもと太郎の世界名作ギャグが載っているのを教えてくれ、読ませてもらいに行った。親が某宗教の信者と知ったのは、ずっと後だ。

映画や乱歩や横溝や星や筒井や平井ファンつながりで知り合い、親戚が持ってた古いキネ旬や「スクリーン」誌も貸してくれた、映画ファンで両親がともに教師の息子のK藤。私がブルース・リーを知ったのも深夜放送を聞くようになったのも、彼の影響。虚礼を排して私が出さなくなるまで、年賀状のやり取りはあった。

チャップリン好きで話すようになった、高身長のH井の事も思い出す。頭が良く、N崎という子分がいたな。

運動が苦手で、放課中はゴムボールテニス(手打ちと言ってた)やドッヂボールの輪に入れず、クラスの底辺にいた私が陰湿なイジメを免れたのは、ウケを取るべくマンガを描いてソコソコ面白がられていたからだが。
Y路のように、ピアノが上手く一目置かれてたりする音楽志向のヤツもいて。放送開始直後、『新八犬伝』のメロディーを採譜してもらった事がある。関東に引っ越し今も健在らしいが、音楽関係でなくフツーのリーマン人生なり。

中学で、当時ブームの あのねのね っぽい笑えるフォークソングを自作し、ギター持ち込みを教師に認めさせクラスで弾き語りしてた Y口は、放課後にミニコンサート、女子に人気もあった。吉田拓郎を「人間なんて」から教えてくれたのは彼だ。
1980年代に一度スレ違ったが、歌はやめたという。今はどうしているやら。

エラリー・クイーン好きのヤツもいたな〜。あいつ、名をなんと言ったか…S我?

今日はここまで!

J・KOYAMA * ターンノーン通信 2015〜 * comments(0) * pookmark

コメント

コメントする









トラックバック

このページの先頭へ